自己コントロールへの道

2021年6月16日に投稿しました「宗教的な生き方の発見―1/全3稿」の第11項目に以下のようにあります。 11 人間的な心身を持ち、人間的な生活をするためには、人間としての特殊能力を自覚して、これを養わなくてはならない。その特殊能力とは自己コントロールできる能力である。自己コントロールできるようになるとは、大脳皮質の新しい層を啓発して、古い層のものをコントロールできるようになることであり、そうなったとき、始めてこれを精神生活というのである。

これを受け、沖正弘先生監修の月刊誌「ヨガ」昭和44年4月号での先生の文「自己コントロールへの道」を読んでまとめました。

A. 自分に必要な生活法をつかみとれ

1– 人間と動物の違いの第一は、人間は自己コントロールできる能力を与えられていることだ。

2– 私のヨガ道場に参加する多く人が心身異常を患っているが、その人達は一様に自己コントロールの能力を失っている。ヨガは心身の修行を中心にした哲学であって、治療法ではないので、私のヨガ道場では病名を問題とせず、病名に合わせた特別の手当てはしない。では私のヨガ道場でなぜ病気が治るかというと、それは、どの人にも同じように、「正しい生活の実習」をしてもらうからだ。

3– 例えば正しい歩き方、正しい寝方、正しい呼吸の仕方、バランスのとれた栄養、整った考え方等々を、実習を通じて体得してもらうのだ。全員同じ生活行法を行っており、その中から自分に特に必要なものをつかみ取ってもらう。

B. すべての異常は神経と体液の不自然の現われ

4– 多くの人は病名別に違った治し方が必要だと思っているかもしれないが、そうではない。たとえ病名は違っていようと、結論的にみると、すべて神経と体液の不自然状態だ。神経の働きのアンバランス、体液の異常が、その人の一番疲労の抜けない部位に現れているのだ。だから、病名別にみる必要はなく、生活を是正する刺激によって、神経と体液の働きを正常化して体の働きを自然に戻せば、治ってしまうのである。ヨガ道場ではいつ治るのかわからないうちに、治ってしまうという治り方をしている。

C. 多忙や不規則が異常ではない

5– 人間の心身の働きが一番整い快調なのは、自分の心身の力を存分に発揮した時であり、多忙ということはこの条件を作り出してくれる絶好のチャンスだ。忙しいから無理になるのではなく、心身の使い方が不自然だから無理になるのだ。

6– 偏った状態が心身に固着すると、ストレスとして無理を作り出す条件となる。偏らない心身の使い方の例としては、忙しい時には神経が興奮し、血液の酸性度が高まるから、神経の興奮を抑制する刺激を持ってきてやれば、バランスすなわち自然性を保ちながら活動を続けることがきるのだ。

D. 自然の状態で行う

7– 意識的に自由にバランを取れる能力のことを自己コントロール力という。その最高の秘訣は、何もやっていないような状態でやることだ。これを、「無心で行う」という。ヨガでは、眠っているような状態で目覚めていよとか、死んでいるような状態で生きていよとか、忘れたような状態で覚えていよとか教えている。これが「自然の状態で行う」ことで、この時には安定度が高いので、無理が生ぜず、疲れもしないのである。

8– それには、寝ているときの状態を真似るとよい。たとえば、脈を遅くすることである。そのためにはできるだけ呼吸を深く長く静かにし、筋肉をできるだけ柔らかくすること、またそのためには、肩の力を抜き、後方筋に力を込めて、肛門を強く締めることだ。その状態で興奮していればバランスがとれる。

9– 姿勢と呼吸に気をつけただけでは正姿勢は保てない。心と血液の質の協力が不可欠だ。

10– 血液中にミネラル及びビタミンが多ければ抑制力が高まる。これには持久力を高める食物をとることだ。それはまた、血液を浄化し、体の排泄力を高め、血液循環を促進する食物でもある。

E. 自然性体得の総合的工夫

11– 忙しい生活をする時に大事なことは、多忙の害を受けない身構え、心構えを意識的に持つことだ。歪んだ姿勢、不完全な呼吸、偏った血液、偏った心で行うと、無理でないことが無理になってしまう。自然の状態というのは、無理、ムダ、ムラのない状態だ。だから何かの苦痛を感じるのは、不自然であるという教えだ。どんな状態でも、不自然な状態から自然な状態へ帰るように総合的に工夫すれば 解決するものだ。

12– 体の正常性を保つ秘訣は、命の要求に忠実であることだ。不規則とは決まった時間通りに何かをしないことではなく、この命の要求に不忠実な生き方をすることだ。一番自然な生き方とは、「何々したくて何々する」ということだ。ところが心身の異常を持つ多くの人がこの逆をやっている。命の要求に耳を傾けず、ただ決まった時間に食べ、決まった時間に眠らなければならないと決めてかかって、無理の原因を作っている。

F. 睡眠について

13– 不眠症も、ヨガ道場生活の五日以内に殆どが治ってしまう。それは眠くなるまで起きていてもらうからである。眠くないというのは、交感神経から副交感神経へのバトンタッチがうまくできていない、もっと起きて交感神経を使ってほしいという体の訴えである。長時間寝たからといってそれで熟睡しているわけではない。私たちの心身の働きはどういう生活をするかによって癖がつくように、浅い眠りも癖になる。生活是正以外には治すことはできない。ヨガ道場では午前中は肉体的な訓練を多くやるが、これで神経のバランスが取れる人が多い。そして体の調子の整った後で頭を使う仕事をしている。

G. 食事について

14– スタミナの基本になるものは栄養だ。しかし、ある特種の食べものに栄養があるのではなく、その食べ物がその時の自分の体に適しているかどうか、必要とされているかどうかで、栄養の良し悪しが決まる。だから、体の要求した時に食べればよい。時間を決めて食べたい人、また食べなくてはならない人は、その時に食べたくなるようにしておいて食べればよい。

15– 適食を適量だけ食べるには、熱い頭ではなく、冷たい頭でかつ意識的に食べることだ。熱い頭とは興奮した頭で、要求が混乱している。意識的に冷たい頭を維持するとは、大脳皮質の新しい層の働きを高めて、古しい層と間脳の働きをコントロールすることだ。この訓練法が冥想行法だ。

H. 心身の状態を意識的に変える

16– 心の状態と体の状態とは、神経と体液を通じてつながっている。つまり、こういう体の状態の時にはこういう心の状態になっているということが決まっているので、この法則を体得して意識的に自己支配をすることが、自己コントロールのテクニックである。

17– 例えば

▪ 腹が立つときには、重心が上がって体の左右のどちらかの筋肉が特に凝っている。筋肉のくつろいでいる時にはあまり腹を立てない。

▪ 気が小さくちょっとのことでもびっくりする人は、足の小指側に体重がかかっている。足の親指にぐっと力を入れると心の安定度と意志力が高まり元気が出る。

▪ 陰気な時は胸の筋肉が萎縮しているから、胸の筋肉を伸ばすとよい。

▪ 笑っている時や安心している時の呼吸は、吐く息に力が入り、泣いている時や恐れているときは吸う息に力が入っている。だから、朗らかな状態になろうと思ったら吐く息に力を入れるとよい。

▪ 呼吸を長くすれば心が落ち着き、短くすればいらいらしてくる。内の力を高めようと思ったら、止息すればよい。

▪ 血液が酸性過剰になると心身の働きは興奮し、アルカリ過剰になると心身の働きは抑制される。

▪ 血液中の様々な成分の多少は、神経の刺激の種類を変えるので、それによっても心身の状態が違ってくる。

18– 自己コントロール力を身につけようと思うなら、すべてのことを意識的にやるよう心掛けること。「わかっちゃいるけどやめられない」という言葉のように、無意識の力はものすごく強い。しかし、意識的に訓練すると、欲望や感情をコントロールできるようになる。生理的な刺激によるものは生理的に整え、心理的刺激によるものはものの考え方を正すことによって整えていく。

以上述べたようなことが、ヨガで教えている「自己コントロールへの道」である。

自己コントロールへの道」への4件のフィードバック

  1. 記載ありがとうございました。自己コントロールを、無理やりするのではなく、こうすれば、できると説明してくださって、ほっとしました。落ち着けと思っても落ち着けないけど、落ち着いた呼吸の真似しなさいと、興奮しやすい食べ物では、興奮してしまうよと、なるほどうまくいかないわけです。体の安定場所が丹田、心の安定の場所は、仏性と言われておりました。体は反対刺激を与えながら丹田に力が入るようにしていくのかと思いますが、仏性は、他人、他物への思いやりを高めることで、バランスをとることかと思いました。youturboで沖先生の動画を見ると、ヨガは、統一行法、禅定行法、信仰行法、三昧行法、法悦行法だけであると言われております。心の混乱を取り除く方法として、精神を何かに集中し、放下することで、脳の活動が興奮状態から安定状態になるのでしょう。しかし、ここからは、大変でとても進めない気がいたします。若い時も、三島で断食を経験しましたが、そこからなかなか前に進めなかったところです。この年になっても、憧れとともに、俗世間への未練が多くある自分を感じてしまうので、温かいお言葉を励みにさせていただきたいと存じます。ありがとうございました。日々勉強させていただきます。

    • 福井さん、コメントありがとうございます。私の経験では、むずかしい哲学用語をたくさん並べて沖ヨガを理解しようとすると、知性ばかりが刺激され、「ああでもない、こうでもない」と次々と自分の浅い人生理解の範囲で振り回されるような気がします。やはり「生活ヨガ」だと思います。「生活ヨガ」というのは、朝起きての布団の片づけから始まる、歩きから、座り方、何をどう食べるか等の動作的なところは微々たる分野で、大切な学びは、生活の中で出会う他の人と間でどうしても起きてしまう食い違いを通じて、自分の考え方・感じ方の癖に気づき、その時こそ、沖先生の言われた「三昧って何だろう」「信仰って何だろう」というテーマを引っ張ってくることだと思っています。自分が問題に直面している時には、幸せな解決(=人との和合のある解決)を目指して必死になります。で、そのように解決できると、やはり、ああ三昧という感覚はこういうことか、と少しわかります。またそのやり方に慣れがくるとその感激も薄れ、自分の欲で、別の場面でまたそういうステップを踏むことになりますが、長期的に見ると、少しずつ、プロセスが速くなってきているような感じがしています。

  2. これまでの考え方が全て覆されました。
    病気や異常の種類に違いがあっても治し方は同じというのは、本当に驚きました。日常、無意識に持つ医学知識なら、それぞれの病気に特化した治療薬や治療法があるというものだと思うのですが、そのような必要はないということなのですね。これについて、私は、治療法がないと言われる病気でも、治る可能性はあるのだと、希望を感じました。
    そして、その次の章に、多忙や不規則が異常を作り出すのではなく、心身の使い方が不自然だから無理が生じる。むしろ、多忙は自分の心身の能力を存分に発揮した時であるのだから、一番整った快適な条件を作り出してくれるとは、今まで一度もこのような考え方が出来たことはありませんでした。むしろ、多忙を身体のコリや不調の理由にしていました。それは、悪い姿勢を続けたり、時間がないことを理由に適当なものを食べたり、緊張感で身体が酸性になって、それらを放置したままにしていたから心身に異常が生じていたのだと教えていただきました。どんなに多忙な状態であっても、心身をコントロールするのが人間らしく賢く生きることで、それを実践すれば快適な状態にいられるのだということですね。
     食事について、ここ数年は、私に合わないものを食べると、反応が出るようになりました。加齢や出産、免疫力の低下、体力、精神状態など様々な要因により体質が変化したことなどがあると思いますが、分かりやすく反応が出るので、自分に合う食品や食べ方が少しずつ分かるようになってきました。
     「心身の状態を意識的に変える」の章で、実践しやすい自己コントロール法の例を挙げてくださっているので、アイウエオ体操と合わせて日常に取り入れて参ります。文中にも書かれている通り、無意識の力というものは、確かに強いと実感します。「つい」というのが、一日に何度繰り返されていることか。それにすら気付いていないことも無数にあることでしょう。そこに意識も持ちながら生きていくのですね。日々訓練。正に生活ヨガ。

    • 小百合さん、コメントありがとうございました。沖先生の洞察は深く本当にいのちの本質に迫っているのでしょうね。私も日常で向き合う問題において決定に迷うごとに、沖先生の言われる見方・考え方を思いなおしては、その時の自分が具体的にできることと照らし合わせながら再考察をして、やっと決定できる、ということを何年もやっていて、それが私の生活ヨガになっています。状況がその都度違うことは勿論、自分のできることも変わってきますから、そういう異なる条件の下で沖先生の言われていることを適用するという点で、そのプロセスは本気の沖ヨガの学びです。

      一つ、小百合さんが最初の方で書かれている「そのような必要はない」というところが、気になります。小百合さんは極端な意味で言われているのではないと思いますが、一応思うところを書いておきます。沖先生は、ここに関する「本文の4」で言われていることを、いつでもどの状況でも無用、と言われているのではないと思います。先生のヨガ道場では、「そのように実践できる環境を整えていたので、そういう生命の本質に立ち返ることによって治ることができていた」ということだと思います。「それが実践できる条件がそろっている環境で」、という大前提があります。普通の生活ではその環境を用意することが難しい、またそういう環境がなくては当事者がそういう覚悟を持つことも難しいということを、普通に生活する私達は念頭に置いていなければならないと思います。

      たとえば、私など、若い頃は頭でっかちで、ほぼ最高に理想的な状況で言われている事がすべて実際の生活でも起こるべきだと頑張っていました。特に頑張っていたつもりではないのですが、浅い経験しかないのに立場のようなものがあるという思い込みや焦りから来ていた自己防衛だったかもしれません。広い深い視野を持って現実を見れば、その条件が整っていないことがわかるだろうに、その大事なところを見ずに、すべて理想通りに解決すべき・できるはずだと思っていました。実際できたことも多いのですが、自分が仕事で成果を上げたように見えても、実は陰で手伝ったり犠牲を払ってくれた人がいたということです。自分が我儘に考え言い動いている後ろで、例えば「自分の時間を割いて私の質問に答えてくれる人」や「寂しい思いや遊びたい思いを我慢して家事を手伝う子供たち」がいたというようなことです。実践できる条件がそろっていない所で自分の理想を通そうとすると、見えない人のお世話になり無理をかけ、というのが必ずあると思います。沖先生の道場では、そういう周りの見えていない自己中心の思いもすべて先生は見て、私たちの心のあり方も指導されていましたから、意識の根本から自立していくことで病気が治っていたのだと思います。

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