宗教的な生き方とは – 1 /全3部

沖正弘先生監修の月刊誌「ヨガ」昭和44年4月号での先生の文「宗教的な生き方とは」を、先生の言葉遣いを大切に、要約しました。長いので3回に分けて投稿します。

A. 生かされて生きている

1– 人間は精神生活者であるべきだ。精神生活者であるとは、宗教心をもって生きているということだ。多くの人は、宗教の解釈を間違えている。これは、宗教を職業とすることにより起こっている。宗教は「一番根本的なもの」を教えるべきものである。

2– 生きている私達にとって一番根本的に大切なものは、「生きること」である。「生きること」が、目的であり、使命であり、価値であり、意義である。だから、あらゆる生きているものが、完全に生きることを本能的に求めている。生きている状態とは、完全に自分のものを出しきっている状態のことだ。

3– 人間として正しい生き方をするためには、「生かされて生きている」という事実を第一に悟らなくてはならない。それは、心身生活すべての面で、「与えられ、守られて生きている」ということだ。

4– このいただいているものを出しきらなくてはバランスがとれない。意識的に人事を尽くす生き方が自然的な生き方である。体の力、心の内容、自分の身についている知識や技術を出しきることである。自分に与えられているものを自利利他のために出しきることを「宗教的な生き方」といい、その生活を「精神生活」という。

5– バランスのとれている状態が自然の状態だから、宗教的な生き方とは、人間として最も自然な生き方をするということである。このように自分を出しきる生き方をするためには何が必要かというと、自己を出しきることを邪魔するものをできるだけ身につけないようにすることであり、また、すでに身についてしまっているものを取り除くことである。この目的のために訓練し、修行する。このように邪魔になるものが無くなっている状態を「解脱」、ヨガの言葉で「ムクシャ」(自由)という。

B. 適応性を高めよ

6– 心身および生活が最も自由になっている状態が自然の状態である。バランスのとれた生活、すなわち自然の法則に従った生き方をすることが自然性を保つことである。この自然性が体に現れている状態が「健康状態」であり、身についている不自然性を除こうとする体の働きの現われが「病気」である。また、自然性が心に現れている状態が「悟り」であり、不自然性を浄化是正しようとする心の働きが「悩み」である。病気や悩みを、自己改造のための教えとして受け取り、それを活用し、全力を出しきるという目的のために健康を求め、また、救われる道を求めるのが、正しい求め方である。

7– 私達は生かされて生きているのだから、生きることに協力してくださっているものに上手に調和する必要がある。これが高度の適応能力であり、訓練によってはじめて身につくものである。高度の適応性とは、すべての刺激を自分の進化・強化のために活用できる能力のことである。幸福を願う者は、意識的に適応性を高めかつ拡大するよう努めなければならない。なぜならば、宇宙を支配している自然法則が「適者生存の法則」だからである。

C. 人間の生き方において大事なこと

8– 人間は進化する生き方をしなければならない。文化が進むにつれて不自然生活の度合いが高まってくるから、この中でバランスを保つ能力を身につけた者のみが救われる。その基礎となるものが強く高い精神力である。 人間は考える動物として作られている。考えることによってはじめて知性が高まる。考えるためには絶え間なく勉強しなければならない。幸いなるかな、多くの古今の方々が私たち一人一人に代わっていろいろな勉強をして、それを与えてくださっているが、もし自分一人でこれらを研究しなくてはならないとしたら、動物同様に進化することのできない生物に終わるであろう。この自覚をし、古今を通じてのすべての人が教えてくださることに感謝し、自分もまた、自分の努力を他のために捧げなくてはならない。この心が社会に進化をもたらす心である。

9– 人間は他の存在と協力して生きなければならない。他の面倒を見ながら自分も生かされるというのが、「協力性」である。人間社会には、利他の心の欠けている者が多い。この地球は人間だけのものではない。人間が生きていくためには、動物も植物も、すべてのものが必要である。私達は一日も早く、「人間本位の生き方はいけないのだ」と目覚めなければならない。地球上に存在するすべてのものと共存共栄するという考え方に立つとき、本当の意味の平和が生まれる。

10– 人間は社会的動物であり、一人では生きていけないようにできていて、他のものに依頼して生きることができる。一方、動物の世界では、自分が自分に責任を持っているもののみが生きることを許されている。人間の共同生活型が依頼心と横着心を生み出したのだと思う。人間は自立心をもって協力し合うべきである。

11– 人間的な心身を持ち、人間的な生活をするためには、人間としての特殊能力を自覚して、これを養わなくてはならない。その特殊能力とは自己コントロール*できる能力である。自己コントロールできるようになるとは、大脳皮質の新しい層を啓発して、古い層のものをコントロールできるようになることであり、そうなったとき、始めてこれを精神生活というのである。(注:自己コントロール* については、別のブログ記事「自己コントロールへの道」を読んで下さい。)

2/全3稿へ続く

宗教的な生き方とは – 1 /全3部」への2件のフィードバック

  1. 「私達は一日も早く、「人間本位の生き方はいけないのだ」と目覚めなければならない。地球上に存在するすべてのものと共存共栄するという考え方に立つとき、本当の意味の平和が生まれる。」
    ここの部分が、これからの地球規模の難問を解決する糸口ではないのかと思います。ありがとうございました。

    • 福井さん、コメントありがとうございます。できそうなところから明るい気持ちで向き合っていきましょう。

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