宗教的な生き方とは – 3 /全3部

沖正弘先生監修の月刊誌「ヨガ」昭和44年4月号での先生の文「宗教的な生き方とは」を、先生の言葉遣いを大切に、要約しました。長いので3回に分けて投稿します。これが最後の部です。

G. 心の四つの力を高めよ

21– 人間的自然心を高めるには、感知力、理知力、霊力、実行力の四つを高める必要がある。感知力を高めるには肉体的修行が必要である。理知力を高めるには学問が必要である。霊力とは身に見えないものをつかみ取り得る能力である。多くの人は、目に見えるものだけを考えようとするが、私達は自分に見えないもの、考えてもわからないものにも支配されている。自他の問題を追及する場合には、目に見えるところと、目に見えないところの両面に原因を探さなければならない。

H. すべてを自分の問題として

22– このように、顕冥両方の法則を探求していき、そこに解決の道を見つけるのを「宗教的」という。

23– このように広く深い意味で解釈すれば、一つ一つの物事が大変大きな意味を持っていることに気づくことができる。例えば、誰かと出会うことでも、「偶然に出会っている」と考えやすいのだが、今までのすべてが無かったら、ここで出会うこともあり得ないのではなかろうか。会うための全努力が重ねらてきたのである。一つ一つの物事、一人一人の人の全部は自分にとってものすごく尊い意味と縁を持っているのである。

24– これに気づくと、「すべての縁が自分のためにある」と感じる心になる。例えば、誰かが問題をもって私の所へ来られると、私はそれを自分の問題として考えるように心がける。この問題を解決しないと自分が救われないという気になり、一生懸命になる。この心境は、すべての問題に責任と関係を感じる心である。ここに、自他の区別はない。

25– この心になったときに始めて、私達は本当の愛の心を持つことができるのではなかろうか。多くの人は、自分にかかわりがあるように見えるものだけが自分に関係があると思い、自分にかかわりがないように見えるものは自分に無関係と思いやすい。しかし宗教心に目覚めると、一つ一つのものが全部自分にかかわりがあるものだなあということが身にしみて感じられるようになる。

26– この時、人を責めたり裁いたりする気持ちにならず、一緒に泣きたくなる、あるいは、一緒に喜びたくなる。こうなったら非常に心が落ち着き、安らいでいる。

宗教的な生き方とは – 3 /全3部」への2件のフィードバック

  1. お言葉ありがとうございました。
    感知力、理知力の次のところが、たどり着けません。
    もちろん、その前の段階もまだまだでありますが、
    せっかく生まれ生きてきたのですから、すこしでも、
    そこを知り、近づけると良いのですが。
    ありがとうございます。

    • 「感知力と理知力」というタイトルで2020年12月にブログ記事を出しました。その中で沖先生は、「感知力には1)人間になる以前からの力、2)人間になった後にできた力とがある」と言われており、今回言われている霊力は1)の方と深く関連している、と思います。学問的に追及できるものではないので、日常生活や人生の場面で他の人とのご縁によって触発され現れる「知らなかった自分」との出会い、また、「パッとしたひらめき」や「いくら筋道を立てて考えても結局はどうしてもこうしたいなというようなもの」が、実生活を通して霊力を磨く機会かなと思っています。そういうものを無視せず、それが来た時には、そういうものがあることを認めて、沖先生の言われるように「すべてを教えとして肯定し、自他のためにすべてを生かすようにもっていく、『己の欲するところをなして矩をこえない』範囲で」ということで。

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